2018年5月31日
(内容)
- イエス様は弟子たちに悪霊に打ち勝ち、病気を癒やす力と権能を授け、いくつかの注意を与え、神の国を宣べ伝えるために遣わしました。
(黙想)
- マルコでも弟子派遣の出来事は語られています。マルコでは弟子たちは二人一組になって派遣されています。派遣の目的は語られず、弟子たちの活動について「悔い改めさせるために宣教した」と書かれている。報告されている。ルカでは、二人一組という記述はありません。実際に一人一人別々に派遣されたというより、二人一組で遣わされた可能性は大きいと思う。派遣の目的は、神の国の福音を宣べ伝えるため、とはっきりしている。そして弟子たちは至るところで福音を告げ知らせたと書かれている。
- イエス様はなぜ、弟子たちを派遣したのか。弟子たちは福音を告げ知らせたとありますが、弟子たちは、福音をどう理解していたのかと思います。彼らはイエス様と共に行動していたので、イエス様が何を語ったのか知っているので、イエス様の語ったことを伝えたと思われます。イエス様はなぜ、弟子たちを遣わされたのでしょうか。一つには訓練という目的があったかもしれません。弟子たちは、イエス様と同じことをします。悪霊を追い出し、病人をいやします。
- 弟子たちを遣わすにあたり、イエス様が注意を与えます。旅には何も持っていくなとあります。イエス様に派遣される旅を続けている間、明日のこと思い煩わず、必要は満たされると信じるようにイエス様はお命じになりました。天の父なる神が共におられることを信じるのです。
- 弟子たちはやがてイエス様のもとに戻ってきます(9:10)。ここには「使徒たちは帰ってきて」と“使徒”という言葉が使われています。使徒とは、遣わされた人の意味です。
- イエス様には、神の国の福音を宣べ伝えるという確固たる目的があります。それは今も変わりがないと信じます。使徒時代以降、悪霊を追い出したり病気を癒やすことは、宣教の手段としては用いられなくなったと言えます。今の時代には、今の時代の方法で神の国の福音を宣べ伝えるということです。神の国、神の御支配の証しとして悪霊追放、病気の癒やしは行いません。ではどのように証しをするのか。それは罪に関わる証しとなるのではないか。罪赦されて、罪から解放されて生きる、そこに神の国の福音の証しがあるのではないか。ナザレの会堂でイエス様はご自身の使命を語られました。解放・回復・自由です。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か。
- (御子)2節。神の国の福音を宣べ伝えるために弟子たちを派遣する方。
- 私は神学校を卒業し、教会に遣わされました。教会への就任式の時は、神の御心によって、その教会に遣わされたと信じるかと問われ、信じると告白します。また按手礼を受けるときは、「正教師」に任じられることは主イエスの召しであると信じるかと問われました。「信じる」と答えました。今も主イエスは神の国の福音を宣べ伝えるために、それに従事する者を召し、遣わされます。
- (御子)1節。主イエスは弟子たちに悪霊を打ち勝ち、病気を癒やす力を与え、神の国の福音を宣べ伝えさせる方。
- (御子)3節以下。神の国の福音を宣べ伝える者に主イエスは注意を与えます。これらの注意は、すべての必要を神が満たしてくださると信頼して、宣べ伝えるべきことを教えます。宣べ伝える者は、神に信頼する、つまり自ら神の国の福音に生きることが求められます。遣わされる場合、すべての必要は神が満たしてくださることを信じて、神のご支配の中を生きて宣べ伝えます。
☆神が求める私たちの生き方
- (勧め)私たちは神の国の福音を宣べ伝える使命を与えられています。伝道者として特別な召しを受けた人も、一人の信仰者として生きている人も、福音の証人として働く使命を神さまから与えられています。神のご支配の中に実際に生きるなら、自分の経験が証しとなります。
- (勧め)3節以下。神のご支配の中を歩むことを志し、神が必要を満たしてくださると信頼して、生きること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスは弟子たちを遣わし、神の国の福音を宣べ伝えさせました。神の国を宣べ伝えることは、今も教会を通して行われています。私たちは悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力や権能を与えられてはいません。少なくとも、この力を行使して、神の御支配を証しすることは求められているようには思えません。これらの力が与えられたら、と願ったことは何度もありました。病人に手を置いていやしを求めて祈ったこともありますが、即座に治るような奇跡は起きていません。
- 私たちにとって神の国の福音、つまり神が共におられ、私たちは神のご支配の中を生きることができることの証しは、悪霊追放や病のいやしとは別な形で伝えることになるんですね。それは何と言っても、罪の赦しを受け、生まれ変わり、罪から清められて生きる幸いを伝えることですね。それは個人の信仰の課題ですが、教会の課題ですね。信仰者は教会に集い、互いに励まし合って生きるように、兄弟姉妹とされています。キリストにつながる者とされています。
- 私は牧師の務めは引退しましたが、福音を宣べ伝える務めは与えられています。月に二回ですが、説教奉仕が当たられています。説教のための聖書テキストの選択は大切な課題です。6月24日の聖書テキストを決めたいと考えています。罪を悔い改め、神の御支配に生きることを伝えるための入り口として、罪とは何かをきちんと伝えたいと思います。私たちは罪の赦しが与えられ、また罪と戦いこれに打ち勝つことができるようにされています。罪とは何か、罪の赦しの恵み、罪との戦いについて、伝えたいと思いました。
- 昨年は、いくつかの教会の礼拝に説教奉仕をしました。そこで長老が祈りをささげますがその祈りを聞いていて、与えられる思いがありました。罪との戦いをしている姿が見えてきませんでした。罪と戦い勝利した喜びも聞こえてきませんでした。罪とは何か、罪の赦しの恵み、罪との戦い、これらを説教のテーマとしていきたいと思います。
☆与えられた導き
- 罪とは何か、二回説教をする。テキストを選ぶ。