2022年6月28日
(内容)
- 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現される。
(黙想)
- 18節にはひとつの命題が告げられる。「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます」。
- 19~20節で、神が怒る理由が語られる。まずこの世に生きる人間には、神を知ることができるようにされている。人間は神を知ることができる。
- 21節。第二に神を知りながら、神を崇めず、神に感謝することをしない。そして空しい思いにふけり、心が鈍くなっている。
- 22節。偶像礼拝をしていると語られる。
- 人間には神を知ることができるのに、神を知ろうとしない。神を知ったとしても神を崇めようとしない。それどころか偶像礼拝をして心は空しい思いにふけり、鈍くなっている。
- 神の怒りは、真理の働きを妨げる人間のあらゆる行為に対して向けられるとパウロは書く。「真理の働きを妨げる」は抽象的な言い方であるが、本質的な表現なのだと思う。
- 真理とは何か。主イエスは言われた.「わたしは道であり、真理であり、命である」。真理とは主イエスであり、神が真理である。真理の働きとは、人間を信仰に導き、信仰に生きるようにする働き、人間を救おうとする神の働きと言える。神は人間をご自身との交わりに招かれる。
- この神の働きは、神に召された人間が担う面もある。旧約聖書において、イスラエルの民は、信仰に生きるように召され、世界に向かって、神を証しする使命を与えられていたと言ってよい。彼らは選ばれた民、選民である。何のために選ばれたのか。神を伝えるためである。
- そしてイエス・キリストご自身、父なる神を伝えるべく、この世の歩みをなさった。それは特別な仕方であった。最後に十字架につくという仕方でイエス・キリストは神を伝えたと言える。
- イエス・キリストの復活・昇天の後は、教会が福音を宣べ伝える使命を与えられ、今日に至っている。
- 神の怒りは不道徳な行為、非倫理的な行為に向けられるというよりは、神を信じないこと、神を知りながら崇めないことに向けられると教えられる。まさにここに罪とは何かが示されている。
- パウロは、私たちはこの世界に生きていて、神を知ることができると語る。それなのに神を崇めない、感謝しない、だから神の怒りを受けると語る。しかし21世紀に生きる者にとって、神を知ることができるのは当然のことという理屈は通用しない。むしろ神はいないという前提で人々は生きている。
- 宇宙を研究する学者は言う。「宇宙はなぜあるのか。これは究極の問いである」。万物は神が造られたというのは、信仰者が語る言葉であり、すべての人が認めるものではない。
- しかし神を信じない人たちが、空しい思いにふけり、心が鈍く、暗くなっていることは確かである。「自分では知恵があると吹聴しながら」とある。この世に生きている人間で、自分には知恵があると考えている人は少なくない。なぜ神を信じるのか、神を信じる必要など私にはない。私は自分の力で生きていく。そう語る人は少なくない。あるいは神を知らないために、自分の存在意義が分からず、行き詰まったりすると自暴自棄になったり、自死したり、残念な人生を送ることにもなる。
- 神がおられることは現代人には自明ではない。神を信じない人の人生は、幸いなものとは限らない。神を信じなくても、人々は幸福を追求して生きており、満足度は人それぞれだと思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
<御父>不義によって真理を妨げるあらゆる人間の不信心と不義に対して怒りを表される方
☆神が私たちに求める生き方
<教え>信仰者として神を知っているので、神を崇め、感謝して生きること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、私は若い頃、見えない神を信じることはできませんでしたし、パウロが語るようには、神を知ることはできませんでした。神がいない、それが前提の世に生きていました。教会の礼拝に通うようになり、あなたのことを意識するようになり、そしてある時、自分の罪に対するあなたの怒りを覚え、イエス・キリストを信じるように導かれました。私が生きている今の時代は、あなたなしに生きることが当たり前の時代です。パウロは被造物を見れば神を知ることができるといいます。しかし現代では、科学的に物事を考えることが多く、被造物を見て神を知ることができるとはなかなか言えない時代です。
- 自然の中に身をおいて神を知ったとしても、私たちを罪から救う神を知ることはできません。イエス・キリストぬきに真にあなたを知ることはできません。
- 大切なこととしてあなたを崇め、あなたに感謝することを教えられます。そもそも神を崇めるとはどのようなことを言うのでしょうか。パウロはこのロマ書の中で、神を崇めることについてどう言っているのか、確かめたいと思いました。ロマ書を通読して確かめます。
☆与えられた導き
- ロマ書を通読する