2023年10月26日
(内容)
- 敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それは天の父の子となるためである。
(黙想)
- 迫害する者のために祈りなさいと命じられる。迫害する者を敵と見なせば、彼は自分を攻撃しているのである。自分を攻撃する敵のために祈りなさいと命じられる。
- 迫害する者は、迫害することが自分の使命であると考えている。クリスチャンを迫害するパウロがそうであったように。やがてキリストを宣べ伝えるようになったパウロは迫害される者となった。迫害する者は正しいことをしていると考えている。
- 迫害する者もまた人間であり、自分とは立場が違う。立場が違う人間であることは認めることは必要である。勿論、迫害という相手の行動を容認することはできない。迫害を受ける中で相手のために祈れと教えられる。相手が迫害を続けるならどうするのか。
- その前に、こちらの反応として、時に相手を憎み始めるかも知れない。相手に対して否定的な感情を抱くことがあるかも知れない。それに支配されることはよくないと考える。
- 迫害する者のために何を祈るのか。迫害することは間違いだから、それに気づくように神の導きを祈る。
- イエスは、神に自分を十字架につける者たちのために彼らの赦しを願った。彼らは何をしているのかわからないのだからと。私たちが想像もできない祈りである。しかし、神の裁きのあることを覚えて生きることをイエスは教えている。
- パウロは復讐は神に任せなさいと教えており、悪には善で勝つように教えている。ロマ書12章。私たちもこの祈りをすることは大切に思う。
- 以前、人から中傷されたことがある。迫害ではないが、その時は、なぜ、自分のことを中傷するのか、彼の気持ちを考えた。彼の人間的な未熟さの故であると考えた。それゆえ、彼のために執り成しの祈りをした。イエスのみ心にかなう行動ができたのではないかと思う。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <命令>迫害する者のために祈ること
(与えられた導き)
☆祈り
- 天の父なる神、迫害する者のために祈りなさいとの教えを聞き、十字架の上でのイエスの祈りに思いを馳せます。イエスは、自分を十字架につけた者たちのために、罪の赦しを祈り求めています。イエスの生き方は、自分のために生きるのではなく、徹底して神と共に、神に仕えて生きることにあります。
- 私もまた天の父の子として、神の子として、自分のために生きるのではなく、私の罪を赦し神の子としてくださった神のみ心に従い、また神に仕える者として生きていくことの大切さを思います。あるいは自分を愛するように隣人を愛して生きるように召されていることを思います。
- パウロがロマ書の12章で悪に対して善で勝つようにと教えていることの重要さを知ります。また主イエスの迫害する者のための祈りに教えられます。主イエスのように迫害する者のために、その罪の赦しを祈るような心を持ちたいと願います。憐れみ深い者にしてください。
☆与えられた導き
- 憐れみ深い者にしてくださいと祈る。