マタイ福音書13章10~17節 メシアの活動を見る幸い

2025年3月18日

(内容)

  • イエスの活動を目の当たりにする者は幸いである。旧約の預言者もメシアの活動を見たかったのである。

(黙想)

  • イエスは天の国を宣べ伝えた。信じる人がいれば、信じない人もいる。天の国のことを語る時、たとえで語る。天の国のことを直接的に語っても信じない者は信じないが、たとえで少しでも関心を引こうとしている。
  • イエスの弟子たちは、イエスの働きを目で見、耳で聞いている。これは幸いなことである。旧約の預言者たちは見たくても、聞きたくてもそれができなかったのであるから。
  • イエスの活動を目撃したのは、弟子たちであり、この時代に生きた人たちである。聖書を読む私たちは、聖書を通して、イエスの活動を知る。我々はイエスの活動を直接見聞きしないが、聖書を通して知ることができる。これも幸いなことである。イエスの働きを直接見聞するのは限られた人である。イエスと同時代の人だけである。後世の人は、その報告を聞くだけである。だから信仰は聞くことから始まると言われる。直接イエスの行動を見ても信じない人がいる。見ずとも、聞いて信じる人もいる。見たから信じることができるというものではない。そこに何を見るか、である。真理を見るか否か。
  • 16~17節では、「あなた方の目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ」とイエスは言う。「あなたがた」はここでは弟子たちを指す。
  • 預言者たちは、見ることも聞くこともできなかった。後世の私たちは、見ることも聞くこともできないが、聖書を通して知ることができる。それは幸いなことだとイエスは言っているように思う。さらに言えば、イエスをメシアと信じることができることは幸いである。
  • イエスは種まきのたとえを語った。イエスは天の国を知る種を蒔いている。この種によって実を結ぶことを教えている。その実とは何か。それは天の国に生きることである。神の御支配の下に生きることである。死んで神の国に迎えられることである。
  • イエス・キリストを信じ、神の御支配のもとに行き、神の国の希望に生きることのできる幸いを確認しよう。実を結ぶことに心を向けよう。僕にとっては、できる範囲で福音を伝えることである。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>聖書から福音を知らされる幸いを喜ぶこと

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。わたしは直接主イエスの活動を見聞きしたわけではありませんが、聖書を通して知ることができます。旧約の預言者が待ち望んでいたメシアの活動を知ることができます。預言者たちが待ち望んでメシア、そのメシアが到来しその活動が聖書に記録されています。直接メシアの活動を見聞きしても信じない人もいました。聖書を通し、教会を通して信じる者とされたことを喜びます。
  • 良い地に落ちた種は、豊かに実を結びます。私も今自分にできることとして、福音を伝えたいと思います。4月に説教奉仕の機会が与えられているので、何を喜びの知らせとして伝えるのか、明確にして説教したいと思います。どうぞ、その準備を導いてくださるようお願いします。私の準備を導き、説教を聞く人たちの心も整えてくださるように導いてください。
☆与えられた導き
  • 祈りつつ説教の準備をする。メッセージを明確にする。

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