マタイ福音書(1)5章13~16節 キリスト者は地の塩

2023年7月31日

(内容)

  • あなたがたは地の塩であり、世の光である。

(黙想)

  • キリスト者は地の塩であり、世の光であると言われる。地の塩になれ、世の光になれとは言われていない。キリスト者は地の塩であり、世の光であると言われる。神の目から見ればキリスト者はそのような存在なのである。地の塩として、世の光として生きて行きなさいとの教えである。
  • そしてそのような者として役に立つことが求められる。塩が塩気を失えば、役に立たなくなり、捨てられ、踏みつけられるとある。またともし火も、升の下に置く者はなく、周囲を明るくさせるようにする。役に立つ働きをするのがキリスト者である。
  • 地の塩とある。地は、地上あるいはこの世界と考えることができる。世の光の「世」と同じと考えてよい。塩には防腐の効果がある。塩は腐らせたくないものに混ぜる。塩は腐るのを防ぐ。
  • キリスト者は世にいる。キリスト者の存在は、世が腐るのを防ぐ。すでに世は腐っている。争いがあり、対立があり、戦争によって人の命が奪われていく。殺してはいけない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、貪ってはいけない。十戒は至るところで破られているのが、この世界、この世である。世の人たちは自己中心的であり、利己的であり、世は、自己中心で腐っていると言える。
  • 地の塩であるキリスト者の存在が、世を腐敗から守ること、それが主イエスの御心である。
  • キリスト者一人の存在は小さい。社会全体が腐るのを防ぐというような働きはできない。しかし選挙で投票をするなど、世に対する関わりは大切である。キリスト者一人の存在は小さいが、それゆえ、自分が属する共同体、自分が存在するグループが腐るのを防ぐ存在となるのがキリスト者である。家族や夫婦も一つのグループである。
  • 塩は料理で欠かすことができない。味を調える大切な働きをし、つくった料理をおいしくする。御言葉によって生きることは人生に味つけをする。キリスト者こそ、意義ある人生を生きることができる。キリスト者の存在は周囲によい感化を与えることを思う。キリスト者の歩みが証しとなり、他者によい影響を与え、他者の人生を豊かにして行く。自分が属する共同体、あるいは家族、夫婦で、自分の存在がよい感化を与えるようにすることが大切と教えられる。
  • それができないなら塩気を失った塩と同じで、役に立たない存在となる。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>地の塩として自分が属する共同体が腐敗するのを防ぐ存在となること。
  • <勧め>地の塩として自分が属する共同体がよい存在となることに仕えていくこと。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、地の塩として周囲によい影響を与える者でありたいと教えられました。周囲の人々が世に流されて腐敗しないように、周囲に人がキリストの香りを放つことができるように、まず自分が良い香りを放つようにと促されました。
  • 今私が他者と関わる機会は多くありません。説教奉仕で関わる教会の人たちとの関わり、礼拝出席している教会での祈祷会、インターネットで発信したものを見てくださる名も知らない人たちです。大切なことは、一つ一つに誠実に関わっていくことだと思います。あなたの導きを祈り求めていきます。
☆与えられた導き
  • 導きを祈り求めつつなすべき事を行う。

 

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