2020年12月29日
(内容)
- 神と富とに仕えることはできない。神を信じて生きることと富を第一にして生きることは両立不可能である。
(黙想)
- だれも二人の主人に仕えることはできない。これが教えである。二人の主人として神と富が引き合いに出されている。人は神と富を同時に主人にすることはできない。富に仕えるとは、富を第一にすることである。神は施しをすることを大切なこととして教える。しかし富を大切にする者は、施しのために富を使うことを惜しむことがある。信仰生活の中では、献金を神に捧げる。その場合に、どれぐらい献金するかで惜しむ心が働く可能性はある。それは、神と富に同時に仕えることはできないことを意味している。自分がどんな心で捧げているかは、自分がよく知っている。
- 信仰生活を考えるとき、もう一人の重要な主人が存在する。つまり「自分」である。多くの人は「自分」を主人としており、自分の思いどおりに物事を運びたいと考え、自分の思いに従って生きている。人から指図を受けることは嫌う。自己実現が尊ばれるのは、自分を人生の主人としていることを示している。するとイエスの教えは神と自分とに仕えることはできないと言い換えることもできる。神の教えに従いたくない時がある。その時、どうするか。
- 多くの人は自分を主人としている。現実の生活の中では、自分より上の立場の人に仕えており、そのことがストレスになったりする。二人の主人に仕えることは現実の生活の中でいくらでもある。同時に仕えることができなくて苦しむことがある。
- 信仰者は神の他に色々なもう一人の主人に仕えることがある。その第一は自分である。人によっては、その他、別なタイプの主人がいるだろう。
- 信仰生活においてスパッと一人の主人、つまり神だけを主として生きることは簡単ではない。別な主人が顔を出すからである。多くの人にとって「自分」が主人となる。置かれた状況によって、どちらを主として従うのか、迷うことがある。これが現実かもしれない。しかしこの中途半端さが、結局迷いを生み出し、思い煩いを生み出したりする。
- 信仰者は神だけを主として生きればよい。神に信頼して生きればよい。信仰生活とは、神を主として生きることを目指す歩みである。神以外の主人が時に顔を出すのが、私たちの信仰生活である。神だけを完璧に主とすることはできない。信仰の戦いはなくならない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>父なる神だけが、私たちの真の主人である。
☆神が私たちに揉める生き方
- <勧め>神以外の主人となりそうなものに「主人」の地位を与えないこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を思い巡らすことができて感謝します。「あなたはわたしを真に主人とするか」とのあなたのみ声を聞く思いがします。私にとってもう一人の主人になりそうなのは、「自分」です。以前終末の事柄がなかなか信じられないとの思いを持ったことがあります。ここでは自分が主人になっています。神さまを主人にすれば、聖書に書かれている終末の事柄は信ずべきこととなりますね。自分の理性は信じたくても信じられないという状況がありました。
- 信仰生活は誰を主人として生きるのかという戦いでもあると思います。私は、あなたを主人とする生き方を選びます。このように決断をしても別な主人が顔を見せるので戦いが生じます。一つ一つの戦いで、あなたを主とする歩みを貫くことができるように導いてください。
- 今、私の現状はどうなっているのでしょうか。今のところ、別な主人が顔を出し、これと戦うという状況はありません。幸いなことです。今牧師を引退し、時間的、精神的なゆとりはありますが、ブログを書いたり、ディボーションを続けることに疲れを覚えることはあります。でもこれをやめたら、私は私でなくなります。これは私にとってあなたに仕える生活の有り様だと思いました。けっして安楽な道ではないですね。
- 世の中に「自分は生かされている」と語る人が少なからずいます。命の危険に直面したあとに自分が生きているのではなく、生かされていると語るのです。私は神であるあなたを信じていますが、自分が生かされているという実感はありません。むしろ信仰者として生きる努力をしていると言ったほうがよいです。もし「生かされている」と言うなら、御言葉によって生かされているということはできます。
- 天の父なる神さま、ディボーションをし、ブログを書き続ける私の歩みを導いてください。これはあなたの助けなくして続けることはできません。これを何があっても続ける、これがあなたを主とする今の私の歩みです。どうぞ支え導いてください。
- 今日はリビングプレイズの「あなたはわが神」をもってあなたを賛美します。私を健やかに導いてください。
あなたはわが神 あなたはわが主
御言葉与えられれ わたしをいやす。
あなたはわが神 あなたはわが主
健やかに導く 大いなる主よ
☆与えられた導き
- 賛美し、健やかな歩みを導いてくださるように祈る。