ローマ 8章9節 キリストに属し、霊の支配下に生きる

2024年7月19日

(内容)

  • 神の霊が宿っているなら、その人は霊の支配下にある。キリストの霊を持たないなら、キリストに属していない。キリスト者なら聖霊が自分の内におられると信じ、キリストに属する者として歩もう。

(黙想)

  • パウロによれば、人のあり方には二種類ある。「肉にある」「霊にある」の二つである。新共同訳聖書では、「肉にある」を肉の支配下、「霊にある」を霊の支配下と訳している。人間の生き方として、「肉に従う」生き方と「霊に従う」生き方がある。人はこの二つの内どちらかのあり方をし、それに応じた行動の仕方をする。
  • 人が「霊にある」か「肉にある」かを決定するのは、神の霊があなたがたの内に宿っているかどうかで決まるとパウロはここで語る。
  • キリスト者は洗礼を受け、その結果、神の霊つまり聖霊がキリスト者の内に宿る。それゆえ、キリスト者は「霊にある」「霊の支配下」にある。
  • 新共同訳では、「神の霊があなたがたの内に宿っている限り」とある。協会共同訳では、「神の霊があなたがたの内に宿っているなら」。これを見ると、人は神の霊が自分の内に宿っているのか否か、どうしたら分かるのかと考えるかも知れない。さらにどうしたら神の霊が自分の内に宿ってくれるのかと考えるかもしれない。
  • キリスト者は洗礼を受け、その結果、神の霊が内に宿っていることを信じることが大切である。そして神の霊が内に宿っていると信じて歩むことが大切である。つまり霊に従って歩み、霊に属することを考えるのである(5節)。神の御心を重んじ、神の言葉を大切にし、これに従うのである。
  • 神の霊がキリスト者である自分の内にいると信じて歩み、そのような歩みをしつつ、このような歩みができるのは、神の霊がうちにおられるからだと信じる。このように歩む者は、律法の要求を満たすことになる(4節)。
  • キリストの霊を持たない者は、キリストに属していない。神の霊とキリストの霊は同じなのか違うのか。同じならなぜ言葉を使い分けるのか。聖書は二種類の霊を語っていない。だから神の霊も、キリストの霊も、同じ霊、つまり聖霊である。

ヨハネ 14:26
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

ヨハネ 16:7
しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

  • 14:26では、父なる神が聖霊を送るとあり、16:7ではイエスが弁護者(聖霊)を送るとある。
  • いずれにせよ、神の霊も、キリストの霊も聖霊のことである。この箇所では、キリスト者は、聖霊を宿し、キリストに属するものであることを知ることが大切である。次の10節では「キリストがあなたがたの内におられるならば」とある。キリスト者はキリストの霊を持ち、キリストはキリスト者の内にいるという。
  • キリスト者は「霊の支配下」(「霊にあり」)にあり、キリストの霊を持ち、キリストに属するものであり、キリスト者のうちにキリストがいてくださる。
  • キリスト者はとてもすばらしい存在に思えてくる。そのような者にされていると信じ、そのような者として歩みたいと思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <聖霊>聖霊は私の内におられる。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>キリストに属する者であり、霊の支配下にあることを信じて歩む。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日は、聖霊が私の内におられることを語っています。さらに私は聖霊の支配下にあることを教えられます。このことを信じて歩みます。
  • 天の父なる神さま、聖霊の導きは御言葉と切り離せないことを思います。あらためて私には、ディボーションをすることなしに聖霊の導きはないことを思います。
  • 聖霊の存在は感覚で捉えることができないので、聖霊とどう関わっていったら良いのか、多くのクリスチャンは知らずにいます。聖霊の導きについて語ることができたらいいなと思います。自分自身の確認のためにも、聖霊について語る聖句をピックアップし、聖書は聖霊の働きについてどのように語っているのか、調べてみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 聖霊について語る聖句をピックアップする。

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