2025年5月28日
(内容)
- イエスは故郷のナザレに帰り、会堂で教えられたが、人々はイエスにつまづいた。
(黙想)
- イエスは会堂で教えられた。人々はイエスの教えに驚き、また奇跡に驚いた。この人はこれらの力をどこから得たのかと不思議に思った。しかし、この人は大工の息子ではないか、母親はマリアでその子供たちは自分たちの所に住んでいるではないかといい、イエスにつまずいた。
- イエスは、身近な人であり、いくらその教え、行う奇跡に驚いても、イエスを特別な人として受け入れることはできなかった。身近な人を特別な人とは思いたくないのであろう。プライドがあるのだろうか。人々が不信仰だったのでイエスは、あまり奇跡を行わなかったとある。
- 人間の微妙な心の動きを見る思いがする。自分の周囲の人がすぐれた人であって欲しくないという心情が見えた。プライドが許さないのだろうか。人は何を大切にして生きているのか。自分のプライドは、大切なのだろうか。大切に思う人たちがいる。
- 素晴らしいものは素晴らしいと認める柔らかな心は大切だ。その心で僕は、超教派の集会に出かけて学び、自分の牧会に取り入れてきた。神の導きと信じた。ある意味、柔らかな心を与えられていることを感謝しよう。もしかして老いの時期は、人生を振り返り、神の導きを感謝する時なのかも知れない。
- 身近な人の働きについて、批判し、正当に評価しないことがあるだろうか。老いた者は、とかく若い人たちの働きを批判することがあるのでは。僕はどうだろうか。今日は、若い牧師たちの働きを覚えて祈ろう。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>故郷のナザレの会堂で教えられた。
- <御子>人々の不信仰のゆえに、ナザレでは奇跡を行わなかった。
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>人は身近な人たちの働きを認めない傾向がある。
- <警告>プライドは、自分の歩みを歪められることがある。
(与えられた導き)
☆祈り
- 父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。イエスが故郷のナザレの会堂で、人々を教え、おそらく癒やしを業を行ったと思われます。人々はイエスに驚きましたが、イエスを特別な人と認めることは拒みました。
- 人にはプライドがあり、他者を認めることに抵抗を感じるものです。他者の働きをありのままに認めることをせず、あら探しをして批判したりします。良いものは良いと素直に認める心を持ちたいと思いました。
- 老いた牧師としては、若い牧師たちの働きを目にして色々思うものです。若い人たちを応援するのが自分の役割を受けとめます。彼らの未熟さに目を留めたら、彼らのために祈ることが大切ですし、優れたところを見たら、ほめることも必要ですね。今日は、関わりのある若い牧師たちのために祈ることにします。今日の導きを感謝します。
☆与えられた導き
- 若い牧師たちのために祈る。