2020年12月22日
(内容)
- 体のともし火は目である。目が澄んでいればあなたの全身が明るいが、濁っていれば全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。
(黙想)
- 先日、目の手術を受けた。術後眼球の中に出血があり、そのために眼球はにごり、見えるのは眼球の中で、外の世界を見ることはできなかった。目は澄んでいれば「見る」働きができるが、「濁って」いれば、「見る」働きはできない。目が澄んでいればものをはっきり見ることができる。身をもって経験した。
- 「体のともしびは目である」。ともしびは照らす働きをする。暗いと何も見えないが、ともし火があれば、周囲は照らされて見える。体は目を通して外の世界の情報を得る。目が見えなければ自分がどこにいるのか分からないし、どちらに行けばいいのかも分からない。人の助けがなければ途方に暮れる。目が澄んでいればものをきちんと見ることができる。見るべきものを見ることができる。見るべきものとは何か。単に外の景色が見えるということではないだろう。
- 「この世の神が、信じようとはしないこの人々の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです」(コリント二4:4)
- このような聖句を思うと、見るべきものは「福音の光り」ということになる。そういえばイエスはこんなことも言われた。
- 「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない」(マタイ13:14)
- 福音はすべての人が受け入れるとは限らない。真理に対して心が開かれていないと受け入れることはできない。神を信じるファリサイ派、律法主義者たちはイエスを受け入れることなく、イエスを信じることがなかった。でも彼らの目は曇らされていた。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光り、わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)
- 23節の「あなたの中にある光」とは福音であり、御言葉であり、真理である。前の段落の「天に宝を積みなさい」の教えでは、天つまり神を大切にする心、あるいは神の国と神の義を求める心の大切さが示された。ここでは、それが「光」として語り直されているのではないか。
- でもイエスは、なぜたとえで語られたのだろう。たとえはわかりにくい。弟子たちはイエスになぜたとえで話すのか聞いたことがある(マタイ13:10)。たとえは、それを聞く人が、それを知ろうとする人と知らないでもいいとする人を分ける。たとえでなく普通に教えたとしても受け入れる人と受け入れない人に分かれる。
- たとえで語られると、このたとえは何を意味しているのか、思いめぐらす。普通に語れば、語ったことの意味は理解できるが、語られたことの持つ深い意味を知ることはないだろう。深い意味を求めるという意味では、たとえのほうが良いのかもしれない。
- 神を第一にする心、イエスの弟子の心、神の言葉を大切にする心、福音に生きようとする心が語られている。これを求めるかどうか、聞く者が問われる。
- 自分の目が澄んでいて福音をしっかり受けとめて自分は生きているのか。福音が自分を生かしているのか。そうでなければ「あなたの中にある光が消え」ている状態になる。この箇所は自分を吟味するように教えている。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (教え)真理である神の言葉を大切にすること。神の言葉こそ光である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができて感謝します。「あなたの中にある光り」、それは福音であり、御言葉であり、真理です。福音が私を本当に生かしているのかどうか、光りが輝きを失っていないか、自分を吟味するように導かれました。
- 自分としては、日々聖書を読み思いめぐらして生きているので大丈夫だと思います。しかしファリサイ派の人たちのように、自分では神さまを信じ聖書を大切にしていても、実は自分の思いで生きているということになる可能性はあります。果たして今の自分はどうなのでしょうか。
- わたしは今仕事から隠退しています。俗に言う隠居生活をすることになります。でも好きなことをすればいいとは思いませんし、好きなこともありません。このディボーションをインターネットで紹介し、聖書を読む生活の証しをしています。時に、これを続けることにしんどさを覚えることがあります。時に心の赴くままに生活してみたいとも思います。まだ私は迷いの中にあるのでしょうか。
- 天の父なる神さま、迷うことなく、御国を目指して真っ直ぐに生きていきたいと願います。・・・そのためにトゥルナイゼンの『御手に頼りて』を読み直したいと思いました。これは葬儀説教です。亡くなった方の信仰の歩みが紹介されています。全部で22の説教があるので、一日に一つ読んでみたいと思います。そして自分の歩みを見直すことができればと思います。今日も導きを感謝します。
☆与えられた導き
- 『御手に頼りて』を今日から、毎日一つずつ読む。