2024年7月5日
(内容)
- 自分のしもべの癒やしを願って百人隊長がイエスのもとに来た。彼はイエスの権威を認め「ただ、ひと言おっしゃってください」とイエスに言った。イエスが語れば、その言葉通りになると信じていた。イエスの権威を信じて信頼しよう。
(黙想)
- 百人隊長は、自分は権威の下にあると語った。権威の下にある人は、自分より立場が上の人の権威を認め、その人に従う。そして百人隊長はイエスの権威を認め、「ただひと言おっしゃってください」とイエスに願った。
- 百人隊長の信仰を、これほどの信仰を見たことがないとイエスは感心した。イエスが言葉を発すれば言通りの出来事が起きると信じる。それはイエスが神であると信じることでもある。百人隊長はイエスが神の権威をもつと告白したことになる。
- 天の国での宴会が開かれる時、御国の子らは外の暗闇に追い出されるとイエスは語る。御国の子ら、つまりイスラエルの民は、イエスへの信仰を持たないので、天の国での宴会に入ることが許されないとイエスは語った。
- イエスの権威を認めるか否か、問われる。イエスの十字架の死により、罪の赦しを得られることを私たちは信じる。復活したイエスは、私たちを罪から救う。罪からの救いは、罪の赦しだけではない。罪に打ち勝って生きることを可能とする。もし罪に打ち勝つことができないのなら、イエスの権威、力は大したものではない。いやしを求めてイエスに近づいた百人隊長。私たちは罪からの解放、罪に対する勝利を求めてイエスに近づいていいし、近づくべきである。復活の主は、我々と共にいてくださると約束しておられるのだから。
- イエスに対する信仰が重要である。そしてイエスの権威を認め、イエスに従うことが大切である。何よりもイエスの権威を心から認め、これに従うか否か、問われる気がする。
- この箇所では、それとなく天の国についての言及なされている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>御子は権威ある方である。病気を癒やす力をもっている。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>御子の権威を認めること。御子の権威を認めて復活のイエスに近づくこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。私は何を求めて復活の主に近づいたらよいのかと思いめぐらしました。一つのことに気づきました。私の頭と心で考えることが一致していないことに気づきました。
- 昨日ブログに、自分人生の充実をいかに求めるのか、書きました。老いの日々は単調な生活が続きます。そのような中で、どのように充実感を得ることができるのか、思案していることを書きました。私の心は充実感を求めていたのです。
- 私の頭は、理性では、自分は神の国を目指す旅の途上にあると考えています。もし充実を言うなら、神の国を目指す旅の充実を考えるべきですが、心はそうではなかったのです。
- 私の心が自分は御国への旅をしていることを深く自覚できるようになることを願います。
- 使徒パウロが、今すぐにでもこの世を去って、キリストのもとに行きたいと祈っています。私もこのようなパウロの境地になれたらと祈り願っています。でも私の心は、自分の人生の充実を考え、イエス・キリストのことを忘れていることに気づきました。復活の主よ、私は御国を目指して生きる者、御国であなたと共にあることを心から願う者となります。どうぞ導いてください。「あなたの信じたとおりになるように」とおっしゃってください。
☆与えられた導き
- 御国を目指す者であることを心から自覚できるように復活の主に祈り求める。