マタイ福音書9章1~8節 イエスの権威を認める者となる

2024年8月5日

(内容)

  • イエスは病気を癒やしたり、悪霊を追い出したり目覚ましい働きをしている。イエスは単に奇跡を行う方ではない。ここでは御自分が罪を赦す権威を持つ方であることを示された。

(黙想)

  • この箇所の特徴は、イエスが、ご自分が罪を赦す権威のあることを示されたことにある。その場に律法学者たちがいたが、その中のある者は、イエスを神を冒とくする者と批判した。罪を赦すことができるのは神のみであり、イエスは自分を神のごとく考え、神を冒とくしていると批判したのである。
  • しかしイエスは、「起きて歩け」というのと「あなたの罪は赦される」というのとどちらがむずかしいかと言い、人の子は罪を赦す権威を持っていることを知らせようと言って、「起きて歩け」と言われた。
  • 人々の目には、「起きて歩け」というほうがむずかしい。すぐ結果となって現れるから。それでイエスは「起きて歩け」と言われた。すると中風の男は起きて歩き、その場を去った。
  • 群衆は、恐れを感じた。神の臨在を感じたと言える。人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美したとある。
  • イエスは、罪を赦す権威を与えられていることが明らかになった出来事であった。
  • イエスは奇跡を行うだけの人ではなかった。神から遣わされたメシア、救い主、そして神であった。人となられた神であることが示された。
  • 罪を赦す権威を持つ方であるが、十字架の上で、贖いの死を遂げ、自らの死をもって、人々に罪の赦しを与える者となった。イエスの十字架の死が贖いの死であることを信じる者は罪の赦しを得ることとなった。イエスは自分は罪を赦す権威があると人々の上に立つ方ではなく、自らを低くして贖いの犠牲となり、罪の赦しを与える方となられた。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

  • <御子>罪を赦す権威を持つ方

☆神が私たちに求める生き方

  • <勧め>イエスを信じ、罪の赦しを受けること
  • <勧め>イエスの権威を認めること

(神の導き)

☆祈り

  • 天の父なる神、今日も聖書を読み、思いめぐらすことができ感謝します。今日の聖書で主イエスは罪を赦す権威のある方として、御自分を世に示されました。罪を赦すというのは神の権威に属することですから、律法学者たちは、イエスは神を冒とくする者と理解しました。しかし主イエスは御自分が権威ある方であることを示されました。
  • 私は主イエスの権威を認めているのか、と問われる思いをしました。イエス・キリストは主であると信じ、また主に倣うことを心がけてきました。でも権威ある方と主イエスを考えることはありませんでした。主イエスの権威を認める、それはあなたの権威を認めることでもあると思います。あなたの権威を認める、私にとって一つのチャレンジに思えます。あなたの前にひれ伏すのです。あなたの御前にひれ伏すとは、聖書が教えることを真理として受け入れることを意味します。でも聖書が教える真理を、真理かどうか判定する自分がいます。ここに傲慢な私がいることを思います。
  • 今日の聖書には「体の仕業を絶つ」とあります。「絶つ」のは私です。体の仕業がなくなるように祈るのではなく、私が絶つのですね。
  • 天の父なる神さま、私は心では、あなたの御前にひれ伏したいのです。でも私の理性が真理判定者として、ちょっと待て、と語ります。天の父なる神、真理判定者になることをやめます。その代わり、あなたを崇め、あなたの真理に従います。

☆与えられた導き

  • 真理判定者になることをやめ、謙遜に御言葉に信頼する。

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