マタイ福音書11章7~11節 天国で一番小さい者

2024年11月18日

(内容)

  • 女から生まれた者で、洗礼者ヨハネより偉大な者はいなかった。しかし天の国で一番小さい者でも、彼よりは偉大である。

(黙想)

  • 女から生まれた者で、洗礼者ヨハネより偉大な者はいなかった。どういう意味か。旧約聖書で大いなる者とされている人は誰か。偉大さをはかる基準とは何か。洗礼者ヨハネはメシアの先駆者である。そこに彼の偉大さがあるのか。
  • 歴史の中で、メシアの先駆者は、彼一人である。イエスに洗礼を施し、イエスのことをメシアと証ししたのも彼ひとりだけである。イエスの目から見た偉大さの基準は何か。
  • 天の国で最も小さい者も、ヨハネより偉大である。天の国でも、小さい者と大いなる者がいるのか。ここでも偉大とは何を基準にしているのか。人間的な基準はすべて退けられる。ヨハネは先駆者であるが、メシアを信じて生きたわけではない。彼は間もなく殺されて生涯を終わる。ヨハネはメシア以前の時代を生きている。天の国で最も小さい者、この人は、メシアを信じて生きてきた。そして今天の国にいる。メシア後の時代を生きた。この人はヨハネより偉大であるという。イエスを信じる人は、ヨハネより偉大であると言ってよいのか。メシアを信じる人は、ヨハネより偉大である。どういうことか。
  • キリスト者は、自分がヨハネより偉大であると言われることになる。自分の内に何か、偉大なものがあるのか。それはない!キリスト者は恵みによって救われている者である。自分で自分を救うことはできない者である。
  • イエスはここで天の国について語っている。イエスにとって天の国は、想像のものではない。人がやがて行くところとして天の国があることをイエスは告げている。山上の説教で、ファリサイ派の義にまさる義を持っていなければ、天の国に入ることができないとイエスは語っている(5:20)。イエスが天の国について語っている箇所を拾い上げ、黙想をしてみたい。
  • 洗礼者ヨハネは、死後どこに行ったのか。天の国かそうでないのか。旧約時代のユダヤ人たちは、死後どうなっているのか。派生的な問いもあるが、ここでは取り上げない。
  • 天の国で最も小さな者でも、洗礼者ヨハネより偉大である。これをどう理解するのか。偉大というと序列を考えてしまう。天の国では栄光ある体を持つことになり、それは地上での人間の体、存在より、遙かに優れたものであると考えることはできる。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>天の国の存在を信じること。
  • <教え>天の国の子らは栄光に輝く姿をしている。この世のどんな人間の姿よりすばらしい。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
  • 主イエスは天の国に言及していました。信仰は幻想ではないかという悪魔の攻撃がありますが、主イエスは天の国を語ります。悪魔の声を私は退けます。退けるために、主イエスが天の国についてどう語っているのか、調べます。マタイ福音書で天の国はどのように語られているのか、ピックアップし、黙想できたらと思います。そして御国の子らとなることを喜びにしたいと思います。今日の導きを感謝し、主の御名により祈ります。
☆与えられた導き
  • マタイ福音書で天の国について言及している箇所をピックアップする。

<天の国でにおける大いなる者、小さな者>

  • マタ 5:19
    だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
  • マタ 11:11
    はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
  • マタ 18:1
    そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
  • マタ 18:4
    自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。

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