2025年1月22日
(内容)
- イエスは御自分のことを言いふらさないようにと群衆に命じた。奇跡を行うメシアという理解は正確ではないので、誤解されることを恐れての言葉。
(黙想)
- 15節。「イエスはそれを知って」。ファリサイ派の人々がイエスを殺そうとしていることを知って。自分を殺そうと考えている人のそばから離れるのは自然である。しかし大勢の群衆が従ったとある。そしてイエスは、皆の病気を癒やしたとある。群衆は、イエスが病気を治してくれることを求めていた。病気は、人間に苦しみを与える。誰だっていやされたい。昔は医術が発達しているわけではないから、イエスのように病気を癒やしてくれる人を群衆は求める。だから大勢の群衆がイエスに従った。そしてイエスは癒やした。
- 16節。イエスは自分のことを言いふらさないように群衆を戒めたという。なぜ言いふらさないように戒められたのか。その答えは17節にある。
- 17節。それはイザヤを通して言われていたことが実現するためであったとある。
- マタイ福音書には、イザヤを通して言われていたことが実現するためであったという言葉が繰り返される。
マタイ 4:12~
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
- 預言者イザヤは、ゼブルンとナフタリの地に光が射し込んだと預言した。それは今、イエスがカファルナウムに来て住まわれたことにおいて、実現した。イエスはここから活動を始めるのである。
- 異邦人のガリラヤ、暗闇の住む民は大きな光を見た。死の陰の地に住む者に光が射し込んだ、とイザヤは書く。それが実現したマタイは書く。イエスの働きが異邦人に呼ぶことを暗示している。
マタイ 8:16~17
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った」。
- イエスが悪霊に疲れた人から悪霊を追い出し、病人を癒やされたことについて、それはイザヤの預言の実現だとマタイは書く。イエスは人々の患いを負い、病を担った。イエスは人々の病を癒やしたのである。
マタイ 13:14~15
イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない
- イエスの働きを見てもイエスを信じない人たちがいることについて、イザヤの預言が実現したとマタイは書く。
マタイ 15:7~9
偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ。
『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとして教え、/むなしくわたしをあがめている。』」
- これはファリサイ派の人々と律法学者たちがイエスのところに来て、弟子たちを批判した時のイエスの言葉である。ファリサイ派の人たちのことを、口先では神を敬っているが、その心は神から離れていると痛烈に批判する。イザヤも言っている通り。
- そして12章のこの箇所である。イエスは自分のことを言いふらさないようにと群衆を戒めたことが。イザヤの言葉の実現だという。マタイは、イザヤ書42章1節からの言葉を引用する。
- 18~21節のすべての言葉がイエスのことを指していると理解すべきなのか。そう考えるのは無理があると思う。イザヤの異邦人への言及は、文脈的に見てこの箇所と関係がない。18~21節のイザヤ書の引用にであるが、個別的に考えるのではなく、イエスがメシアであることをマタイは主張していると考えてよいのではないか。
12:18
「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。
- これはイエスが神に選ばれた僕、神の御心にかない神が愛する者であり、神はこの僕に霊を授けるとある。イエスが霊を受けたことは、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、霊がイエスに降っている。
- イエスが自分のことを言いふらさないように群衆を戒めた。それはイザヤの預言の実現だという。どういうことか。イエスはメシアである。イエスがどんなメシアなのか、それはまだ明らかになっていない。病この癒やし、悪霊の追放などは目覚ましい働きであるが、イエスは奇跡を働く、そこに働きの中心があるメシアではない。奇跡を働くイエスを伝えることはイエスを誤解させることになる。イエスは群衆を諫めた。しかしイエスは、神から遣わされるメシアである。
- イエスはイザヤの語るメシアである。イザヤの言葉の実現である。メシア理解の誤解を避けるべく、群衆にはイエスのことを言いふらさないようにイエスは戒めた。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
<御子>イエスはメシアである。メシアがいかなる方で、どんな働きをする方なのか、きちんと理解することが大切である。イエスの働きの一面だけを見て、イエス理解に偏りがないようにしなければならない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、主イエスは自分がメシアだと叫ぶことなく、また主イエスがメシアだと語る声を聞く人はいませんでした。洗礼者ヨハネが弟子を遣わして、主イエスが来るべき方なのかどうか確認しようとした時、主イエスは、ご自分が行ったことを告げ、メシアかどうかは自分で判断するようにヨハネの弟子たちに語りました。
- 主イエスは、奇跡を行いましたが、主イエスは奇跡を行うメシアではありません。群衆にご自分のことを言いふらさないように戒めたことは、主イエスのことを正しく知るようにともメッセージと受けとめます。
- 主イエスは、神の御心に従い十字架の死に至るまで、神に従順に従い、罪の贖いのためにご自分を犠牲にされたメシアであることを思います。
- 使徒パウロには体にとげがあり、パウロはとってほしいとあなたに願いました。あなたは、私の恵みはあなたに十分であると語り、肉のとげをとることはなさいませんでした。私にもあなたのとってほしい肉のとげのようなものがあります。それは悪魔がもたらす「疑い」です。聖書が語ることは本当か、との疑いです。
- 「異邦人は彼の名に望みをかける」とあります。この疑いに対して主イエスにとって下さいと祈りたいと思いました。祈ります。導いてください。
☆与えられた導き
- 私のとげをとって下さいと主イエスの執り成してもらう。