2021年3月12日
(内容)
- イエスはこの杯を過ぎ去らせてくださいと祈りつつ、父の御心が行われるようにと祈る。
(黙想)
- 最初の祈りでイエスは「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈られた。この杯が自分のそばを過ぎ去り、杯を飲まないですむようにとの祈りか。ちょうど台風が直撃しないでそばを通り過ぎ、被害を受けなくてすむことを願うような祈りに近いか。
- 二回目の祈りは、わたしが飲まない限り、この杯が過ぎ去らないのでしたら」と祈り、杯を飲むことを決心している。
- 一回目の祈りでは、苦しみの時が自分のそばを過ぎ去り、自分を直撃しないように願い、2回目の祈りでは、十字架の苦しみを味わわなければ、この苦しみの時は過ぎ去らないのなら、神の御心を行ってくださいと祈り、イエスは十字架の死を受け入れる覚悟をし示した。イエスは祈りを通して十字架の死を受け入れ、十字架に向かって歩む決心を固めた。46節で「立て、行こう」と語る。
- 十字架の死は神の裁きを受ける死であり、簡単に受け入れることができるものではない。イエスは心に葛藤を覚える中で、祈り、神の計画に従う決心をする。我々の生活でも御心に従うべく決心する場面もある。死を迎える時もこれを受け入れる覚悟をすることになる。イエスも祈って決断をして十字架に向かった。祈って決断する姿は模範となる。あらためて信仰者は祈りつつ歩むことを教えられる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>心に葛藤を覚える中、祈って御心に従う決断をした。これは模範である。
- <御子>徹底して父のみ心に従おうとする。これも模範となる。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>イエスを模範として、祈って決断しながら歩む。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様が祈り十字架の死に向かって歩む姿が心に残ります。イエス様の死、それはイエス様の生涯のクライマックスです。救いの御業がなされます。でもそこで神さまの裁きを受けるとなれば、ためらいを感じます。イエス様も心の葛藤を覚え祈り、そして十字架の死に向かって歩みます。このイエス様のお姿は励ましになります。イエス様も人間であり、祈って歩まれたことは模範です。
- 私も年老い、いつ天に召されてもおかしくない者となりました。自分の死に直面した時には、祈って、自分の死を受け入れ最後を迎えたいと思いました。
- また祈って歩む、当たり前のことかもしれませんが、1日のわざを始める前に、その日になすことを列挙し、導きを祈りたいと思いました。
☆与えられた導き
- 1日の初めの祈りをする。
- 死を迎える時の祈りを書いてみる。