マタイ福音書 13章18~23節 種まきのたとえの意味

2025年3月25日

(内容)

  • イエスは種まきのたとえの意味について教える。御国の言葉を聞く人間の反応として4つのタイプを紹介している。

(黙想)

  • 道端とは、「御国の言葉を聞いて悟らない」人である。悟らないと悪い者が来て、心の中に蒔かれた種を奪い取るという。マルコ福音書では、み言葉を聞いても、すぐにサタンが来て蒔かれた御言葉を奪い去るとある。ルカ福音書では、み言葉を聞くが信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、そのみ言葉を奪い去る人とある。
  • 各福音書表現は異なるが、悪い者、サタン、悪魔が蒔かれた御言葉を奪い去るとあり、悪しき存在は、その人に働きかけ、救いを奪い取る。教会の礼拝に誘われ、説教を聞いても、無関心で礼拝には二度と行かない人がいる。霊的に見れば、この人たちは、神に敵対する悪しき勢力の支配下にある人たちである。
  • 石だらけの土地。種は根がないために枯れる。御言葉を聞いて喜んで受け入れるが根がないために、御言葉のために患難や迫害が起きるとつまずいてしまうと書かれている。
  • 根がない、これが問題である。根がない、どういうことか。御言葉が自分の生きる根拠になっていない。御言葉は人を変える。何を大切にして生きるかの人の価値観を変える。つまり神を中心にして生きるようになることが根を伸ばすことである。自分第一の考えがあると、患難や迫害が起きなければ、もう信仰はいらないとなる。自分に利益をもたらすなら、信仰も悪くはない。でも患難、迫害などの不利益をもたらすなら、信仰は必要ない、となる。神を土台にして生きる、それが根を張ること、根を伸ばすことである。
  • 茨が生えている土地。世の思い煩いや富の誘惑のために、信仰が実らない人を指す。思い煩いや誘惑のために信仰を貫くことができない。だから実を結ばない。思い煩いについて言えば、神に信頼できず、自分で何とかしようと思って悩むことが思い煩いである。信仰に生きることは目標を目指すことである。その目標は、御言葉によって与えられる。それがはっきりしていないと、世の思い煩いに陥り、また富の誘惑に負け、信仰の歩みができず、実を結ばない。茨が生えている土地の人は、信仰はあるかも知れないが、信仰の戦い、罪や欲との戦いにおいて負ける。霊に従わず肉に従う人である。

ガラテヤ 5:16~17
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

  • 良い土地とは、御言葉を悟る人を指す。悟るとは、理解すること以上のことである。み言葉を理解し、その御言葉に立って生きることを含む。御言葉が生きる指針となる。肉に従わず霊に従う人である
  • 御国の言葉を聞いてどう反応するか、たとえの中で4つのタイプが集会されている。

①関心を示さない人
②自分第一の人。御利益信仰。
③霊に従わず、肉に従う人。霊の実を結ぶことはできない。
④霊に従う人。霊の実を結ぶことができる

  • 悟る人とは、根を伸ばし、思い煩いを神にゆだね、誘惑を退けることを学び、実行できるようになる人である。信仰が成長している人と言える。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>良い土地になること。
  • <教え>御国の言葉を聞いていると自覚すること。異質な言葉、福音を聞いていると知ること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
  • このようにデボーションをする生活を何年も続け、御言葉によって良い土地に耕されてきたと信じます。勿論十分ではありませんが。
  • 老いた信仰者としては、聖書が語る終末の事柄が迫ってきます。若い時から終末を覚えて、つまり自分の死とキリストの再臨によってもたらされる世の終末を覚えていかに生きるかを考え生きてきました。
  • イエス・キリストを信じ、最後の審判では救いに入れられると信じます。終末の時が来て、復活し、最後の審判を経て、御国に迎えられると聖書から教えられています。そして信じています。これらのことは自分の死後に起こることで、この世にあって本当かどうか確かめることはできません。アブラハムが自分の死後に実現する約束を信じたように、私も信仰の父アブラハムに倣い、神にゆだね、信じたいと思います。信仰に生きるとは、信じてゆだねることと教えられます。
  • 父なる神、あなたにゆだねる信仰を与えてください。また「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」(ローマ5:5)。天の父なる神、どうぞもっともっとあなたの愛を私の心に注いでください。そして確信をもってあなたにゆだねる信仰へと導いてください。
☆与えられた導き
  • 確信をもって神にゆだねる信仰への導きを祈る

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