マタイ福音書 13章1~9節 耳のある者は聞きなさい

2025年3月4日

(内容)

  • イエスは種まきのたとえを語られた。そして耳のある者は聞きなさいと言われた。

(黙想)

  • イエスは大勢の群衆に種まきのたとえを語られた。そして耳のある者は聞きなさいと言われた。群衆はこれをどう聞いたのだろうか。僕はどう聞くのか。
  • 種が落ちた場所によってその結果は異なる。種を蒔く場合、これから種を蒔こうとする土地がどんな土地か、気をつけるべきことを教えていると考えることができる。土地を見極めるのである。その上で良い土地に種を蒔きなさいとの教えになるのか。それ以外の土地に種を蒔いても無駄になるだけである。
  • あるいは石だらけで土の少ない土地や茨の生えている土地は、種まきのふさわしい土地ではないので、石は取り除き、茨は刈り取り、良い土地になるように畑を耕しなさいとの教えになるのか。まずは良い土地を作り、それから種を蒔けとの教えになる。
  • 以上は、種を蒔く人に自分を重ねた場合のたとえの解釈である。
  • もし自分を種に重ねるなら、自分という種がどうなるのかは、種を蒔く人次第であり、自分がどんな土地に蒔かれるかである。自分の運命はご主人様次第ということで、どんな主人に仕えるかが大切であるとなる。これは種まきのたとえの教訓になるとは思えない。
  • 自分を土地に重ねたらどうなるのか。自分は実を結ぶ土地なのか、すぐに芽を出しても枯れる土地なのか。これはたとえの解釈としては面白い。自分が試されている。自分を吟味しなければならない。すると種を蒔く人は誰なのかという問いも生まれる。
  • 自分を種蒔く人に重ねるのか、種が蒔かれる土地に重ねるのか、どちらもたとえとして教訓を引き出せるように思う。良い土地に種を蒔け。それとも豊かな実りをもたらす、良い土地になれ。
  • 耳のある者は聞きなさい。これがイエスの結論である。
  • 考えてみれば、イエスは病人を癒やし、色々な教えを群衆に聞かせている。イエスは神の国は近づいたと語られた。イエスの教えも癒やしも、神の国は近づいたことを示すしるしである。イエスは色々なしるしを種を蒔くように蒔いたのである。群衆はイエスの働きを見ている。イエスの働きを種まきと考えれば、種が蒔かれた土地は、イエスの働きを見ている人たちとなる。これが自然なたとえの解釈になるのか。
  • イエスが種を蒔く。イエスの言動を見る人の心に種が蒔かれる。すると良い土地とは何か。イエスの言動を見て、イエスが伝えようとしていることを受け入れる心が良い土地になるのか。
  • 実際にイエスが群衆に話をしている現場で、このたとえを聞いた時、以上のようなことを思いめぐらすことができるか。イエスのたとえを聞いているのは僕だ。イエスは種を蒔いている。僕の心に蒔かれている。実を結ぶ心でありたい。
  • 良い土地とは何か。種が根を十分に伸ばすことができる土地である。種の成長を邪魔するものがない土地である。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>耳のある者は聞きなさいを命じた方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>イエスのたとえを聞いて、イエスの意図を理解すること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。イエスは、「耳のある者は聞きなさい」と教えました。耳があるとは、語り手の語っていることを聞き分けるということだと思います。
  • 今日は聖書を読み、思いめぐらしました。イエスの語られたたとえを理解できたように思います。イエスは福音という種を私の心に蒔きました。福音が私の心に根を伸ばし、また芽を出し、成長しているのかと思わされました。でも今日は、イエスのたとえを聞き分けることができたことを感謝したいと思います。聖書を読む自信が与えられて感謝です。
☆与えられた導き
  • イエスのたとえを聞き分けることができたことを感謝する

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